勤行御観念文について(四)勤行御観念文について(第四回)【末法の全人類を現当に救護し給う 大慈大悲の御恩徳を報謝し奉る】 「日蓮大聖人御報恩」 『南無久還元初の自受用報身・無作の三身・本因妙の教主、末法下種の主師親・大慈大悲、南無日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に』 「末法下種の仏宝」たる日蓮大聖人の御内証と大恩徳を、讃嘆し奉る観念文であります。 三宝に約すれば「仏」と「法」は別になっておりますが、その体は一です。 すなわち本門戒壇の大御本尊は自受用身即一念三千で人即法の本尊、日蓮大聖人は一念三千即自受用身で法即人の本尊であられる。 まさしく末法下種の人の本尊を讃嘆し奉るのが、この御観念文であります。 【日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身】 「南無久還元初の自受用報身」―――日蓮大聖人は久還元初の自受用身であられる。 この文は最も大事であります。 前の観念文においては、戒壇の大御本尊を「久還元初自受用報身如来の御当体」と示されている。 では、その「久還元初の自受用報身」とは誰人にてましますのか。 それを明示するのが、冒頭のこの文なのであります。 久還元初の自受用身を、遠いかなたの夢のごとき存在と思ってはなりません。 末法出現の日蓮大聖人こそ久還元初の自受用身であられる。 そのわけは、位を論ずれば、久遠元初の自受用身と同じく名字凡身の位。 また御修行を論ずれば、境智冥合・無作本有の南無妙法蓮華経をお唱えあそばす三大秘法の御修行。 このように行も位も、久遠元初の自受用身と全同なるがゆえに、日遠大聖人を久還元初の自受用身と申し上げるのであります。 「無作の三身」とは、久還元初の自受用身を三つの視点から見た徳です。 すなわち自受用身の身体・色法は無作の法身、この境を照らす透徹の御智恵は無作の報身、境智冥合すれば自ずと大慈悲が生ずる、この大慈悲を無作の応身というのです。 そしてこの三身は自受用報身の一身に具わるものであるから、これを「報中論三の無作三身」という。 「無作」とは有作に対する語で、三十二相などで身を荘厳らず、あるがまま、本のままの、凡夫のお姿ということです。 この「無作の三身」は三世十方の諸仏の本地です。 この本仏が末法に出現される。 ゆえに御義口伝には「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり、無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是れなり」と。 「末法の法華経の行者」が日蓮大聖人であられることは、開目抄・撰時抄等に明らかです。 撰時抄の一文を挙げれば「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。乃至、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめ たる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや」と仰せられる。 まさしく日蓮大聖人こそ、末法の法華経の行者であり、無作三身であられる。 「本因妙の教主」とは、本果妙の教主に対する言葉です。 釈尊は熟脱の化導をする仏であるから本果妙の教主、そして大聖人は下種の化導を遊ばす「本因妙の教主」で あられる。 本因妙とは種ということです。 「本因妙の教主」の文証を挙げれば、百六箇抄に大聖人御自ら「本因妙の教主・本門の大師日蓮」 また 「我が内証の寿量品とは、脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり」と仰せであります。 【主・師・親の三徳】 「末法下種の主師親」とは、末法の全人類をお救い下さる下種の主師親ということ。 主徳とは、絶大威力をもって末法の一切衆生を救護して下さる恩徳です。 したがって、もしこの仏様に背けば誰人も身が持たず、国も亡びる。 この絶大威力の賞罰を以てお救い下さるのが主徳です。 ゆえに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」(下種本仏成道御書)と。 またその救護は現世だけではない、後生までもお救いして下さる。 ゆえに「無間地獄の道を塞ぎぬ」(報恩抄)と仰せられるのであります。 師徳とは、大智恵をもって一切衆生の蒙昧を開き、成仏の道を教えて下さる敦導の徳です。 ゆえに「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」(報恩抄)と仰せられる。 親徳とは、大慈悲をもって南無妙法蓮華経の仏種を下し、一切衆生を仏に成さしめ給う恩徳です。 ゆえに「今日蓮は、乃至、二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の□に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)と このように日連第聖人は日本および世界の人々にとって、主君であり、師匠であり、父母であられる。 ゆえに根本として尊敬しなければいけない。 根本尊敬とは本尊ということです。 まさしく日蓮大聖人は、末法の全人類にとって"人の本尊"にてましますのであります。 また主徳においても、師徳においても、親徳においても、その根底に共通して存するものは"何とかして一切衆生を仏に成さしめたい"との御本仏の大慈悲です。 ゆえに 「大慈大悲」の文をもってこれを結ぶのであります。 開目抄には 「難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをもいだきぬべし」と仰せられる。大難を忍び給うのは、慈悲がすぐれておら吻るからです。 夜泣して一晩中親を寝かせない子供でも、母親は投げ捨てない、一分の慈悲があるからです。 成仏の大法をお勤め下さる大聖人様に対し、かえって怨み悪口罵詈する大衆を捨てず、流罪・死罪の大難をも忍び給うのは、実に大慈大悲のゆえであります。 また報恩抄に云く「日蓮が慈悲嘆大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。 全人類を永遠に救い切らんと、身命も惜しみ給わぬこの大慈大悲に思いを至せば、思わず涙がこぼれてまいります。 この至心に住して「南無日蓮大聖人」と念じ、御報恩の題目を唱え奉るのであります。 【対比】 「三師供養」 『南無 本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』 まず、人の本尊にてまします大聖人様を三宝に立て分けず「三師供養」として並べ扱っているのもいかにも軽々しい感じがするが、何よりも宗門の観念文では、最も重大な「久遠元初の自受用報身」が抜けている。 前に述べたように、戒壇の大御本尊の観念文においては「久遠元初自受用報身如来の御当体」と申し上げているが、その「久遠元初の自受用報身」とは誰人にてましますか、これこそ最も重大なことなのです。 ゆえに日寛上人は大聖人讃嘆のこの観念文の冒頭に、これを記されているのであります。 次に「一身即三身・三身即一身」では、久遠本果の三身にも通じてしまうから、報中論三の無作三身を明確にするため、「久還元初の自受用報身・無作の三身」とするのが、最も適切であります。 【末法下種の僧宝の恩徳を讃嘆し奉る】 「本門弘通の大導師」「末法万年の総貫首」 「日興上人御報恩」 『南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、第二祖、南無日興上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』 末法下種の僧宝・日興上人の恩徳を讃嘆申し上げる観念文であります。 末法下種の僧宝とはどういうことかといえば、日蓮大聖大の仏法を、正しく清らかに末法万年に伝えて下さった恩徳であります。 仏恩は甚深、法恩も無量、しかしながら、もしこれを伝えて下さる御方がおられなかったら、どうしていま我等ごときが日蓮大聖人に帰依し、戒壇の大御本尊を信じ奉る身になれたでありましょうか。 これ実に日興上人のお力によるものであります。 日寛上人は観念文において、日興上人のニつの徳を挙げておられる、すなわち「本門弘通の大導師」と「末法万年の総貫首」です。 あとで触れますが、宗門の観念文では「家法万年の総一首」が省略されている。 これはいけません。 【本門弘通の大導師】 「法瀉瓶」とは、大聖人の仏法を水に譬えて「法水」といい、この法水を瓶から瓶へうつすさまを、「瀉瓶」というのです。 すなわち日蓮大聖人の仏法のすべて、三大泌法のすべては、日興上人に付嘱相承されているということであります。 「唯我与我」とは、「唯我と我と」と読む「与我」とは日興上人、すなわち日蓮大聖人と日興上人との、師弟不二の御境界を表わす言葉です。 大聖人の門下に多くの御弟子ありとも、伊豆流罪のときも、佐渡流罪のときも、おそぱを離れず御供し、常随給仕申し上げたのは、日興上人ただ御一人です。 また大聖人の御内証を久還元初の白受用身と知り拾い、大聖人の御当体即戒壇の大御本尊と拝し拾うたのも、ただ日興上人御一人であります。 五老僧などは雖近而不見であって、大聖人の表面のお姿しかわからなかった。 だから御入滅後、たちまちに異見を起こし、大聖人の御心に背いてしまったのです。 後世のために日興上人は「遺誠置文」の冒頭に「富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざる事」「五人の立義、一々に先師の御弘通に違する事」 と明記されておりますが、唯我与我、師弟不二の御境界でなければ、日蓮大聖人の甚深の仏法を清く正しく末法万年に伝えることなど、とうていできないのであります。 「本門弘通の大導師」とは、大聖人滅後における、本門の三大秘法を弘通する大導師、総大将ということです。 このことは大聖人が「一期弘法付嘱書」において任命あそばしたところであります。 すなわち「日蓮一期の弘法、白蓮阿闇梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と。 「日蓮一期の弘法」とは、日蓮大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊、これを日興上人に付嘱し、「本門弘通の大導師」に任じ給うた。 そして本門戒壇の建立を御遺命あそばしたのであります。 この御付嘱書を拝すれば、いま私たちが広宣流布・国立戒壇建立に戦っているのも、大聖人から付嘱・遺命を受け給うた日興上人の、お手伝いをさせて頂いているのだということが、よくわかりますね。 【末法万年の総貫首】 次に「末法万年の総貫首」とは、日興上人は末法万年にわたっての総貫首であられる。 「総貫首」の「総」とは"統べる" "とりしまる"の意、「貫首」とは富士大石寺歴代の上人です。 すなわち末法万年にわたって、すべての貫首を統べるお立場が、日興上人なのであります。 以上、「本門弘通の大導師」「末法万年の総貫首」の徳ましませばこそ、末法下種の僧宝であられるのです。 この思想を深く思い、「南無日興上人」と念じ奉るのであります。 【対比】 『南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通の大導師・ 第二祖白蓮阿闇梨日興上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為めに』 宗門の観念文には「末法万年の総貫首」が抜け落ちている。これはいけません。 日寛上人はこの観念文のみならず、文底秘沈抄にも「富士山を以て本山と仰ぐべき文理」を示される中で「末法万年の総貫首の所栖なるが故に」と日興上人の徳を挙げておられるほどです。 先ほども言いました。「総貫首」とは、貫首を統べる・取り締まるお立場です。 これより思うに、現在の宗門で使っている「法主上人」という呼称は間違いですね。 「貫首上人」と呼びまいらせることが正しいと、私は思っております。 【「法主」とは大聖人御一人】 「法主」とは、ただ大聖人御一人に対しての呼称であり、このことは、大聖人が自ら仰せられていることなのです。 いいですか。本因妙抄には「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」 釈尊は熟脱の教主であり、自分は下種の法主である―――と仰せられている。 「法主」とはいかなる意かといえば、法体の御主ということです。 下種の法体たる久遠名字の妙法の御主です。 ゆえに日寛上人は「此の本地難思の境智の妙法に即ち御主有り、所謂蓮祖聖人これなり」(観心本尊抄文段)と。 大聖人以外の誰人が、「法主」と名乗れましょうか。 また熟原の大法難まさに起こらんとするとき、大聖人様が日秀・日弁の立場でお認めになられたあの滝泉寺申状には、こう仰せられている。 「法主聖人時を知り、国を知り、法を知り機を知り・・・」と。 「法主聖人」とはまさに大聖人の御自称でしょう。他の誰人が使えましょうか。 また大聖人御入滅後、日興上人も大聖人を「法主聖人」と呼びまいらせている。 すなわち信徒の御供養に対する御返事に云く「法主聖人の御宝前に、備え進らせ奉り候い了んぬ」(御節供御返事)と。 このように仰せられる日興上人が、どうして御自身を指して「法主」などと称せられましょうか。 日興上人は大石寺の歴代上人を「貫首」と称されているのです。 日寛上人の御筆記を拝見しても、すべてそうです。 ごく近年のこと実は本宗で貫首を「法主」と呼ぶようになったのは、ごく近年のことなのです。 ということは、明治二十一年に身延派が、「貫長の名称をやめて"大法主"と呼ぼう」などと云い出したことがあった。 これに対し、当時の「興門唱導会雑誌」には、こういう見解が載せられております。 「一致派(身延)にては貫長の名称をやめ、大法主と称する由見えたるが・・・・・法主さえ尚恐れあるべし、況んや大の字を加えしにおいてをや」と。 これを見れば、明治二十一年のこの頃までは、本宗で貫首を「法主」と呼ぶ慣習は全くなかったことがわかる。 日常上人が御遷化されたのが明治二十三年の六月二十四日、そして御退座はその前年の五月、このときまでは「法主」などの名称は断じてありません。 しかしその後まもなくして、「法主」の呼称が使われ出した。 そして時を同じくして、今日の宗門につながるさまざまな乱れ、たとえば妻帯などが、始まってきているのです。 だから日興上人が定められたごとくに、あくまでも「貫首」でなくてはなりません。 日興上人の遺誡置文を拝見すれば、二十六箇条の中に三箇条も、「貫首」の呼称を用いられ、貫首の在り方についての御指南がある。 これまさしく、日興上人が万年の総貫首であられればこその御遊減ではないか。 「貫首」についての三箇条参考のために、その三箇条を挙げてみましょう。 まず「衆議たりと雖も、仏法に相違有らば、貫首之を催くべき事」と。 下の者が数の力を頼んで"全員の意志だから"と云ってきたとしても、それが仏法に相違していることならば、貫首は断固としてこれを打ち摧かなければいけない―――と。 これが行われていれば、正本堂などの間違いはなかったのです。 また「時の貫首たりと雖も、仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」本宗においては貫首の権威は絶対です。 しかしその貫首であっても、もし大聖人の教えに背いて間違ったことを言ったならば、下の者はこれに随ってはならない――と。 まことに厳しい仰せですね。 大聖人の仏法を守るに、日興上人がいかに厳格であられたか、よくわかりますね。 いま流行の民主々義・多数決も絶対ではないのです。 また独裁の権威者も絶対ではない。 あくまでも仏法が中心、日蓮大聖人の御金言が正邪判断の基準なのだということです。 この一条に随って、私は御遺命守護の御奉公に立ったのであります。 もう一条あります。 「先師が如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首、或いは習学の仁に於ては設い一旦の婬犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事」「聖僧」というのは、妻帯・女犯をしないということです。 先師日蓮大聖人と同じく、日興上人も聖僧であられた。 そのお立場から、後世の僧侶が婬犯した場合の処置について、御指南下されているのです。 ついでにいえば、従来はみんな「但し時の貫首……」以下を、このように解釈しておりました。 ――時の貫首あるいは習学中の学徒が、もしいったんの間違いを起こしたとしても、宗門追放などにするには及ばない、衆徒の中に置いておいてよろしい――と。 そして "日興上人の温情のお言葉"などと有難がっていた。(大笑) しかし、この解釈は間違いですね。 私はずーっとこの一条の解釈が腑に落ちなかった。 なぜ「時の貫主」と「習学の仁」が同列に論ぜられているのか、不自然さを感じていたのです。 ところがあるとき日霑上人の御筆記を拝見して、初めてわかった。目から鱗が落ちるごとくにわかった。 霑尊はこう解説しておられる。 「文意を云わば、予が聖僧の化儀を破り、婬事を犯せる者なりとも、もし習学勉強にして大法伝弘の志し深き者に於ては、時の貫主、日興になりかわりて、彼が一旦の犯罪を許し、大衆の中に加え置くべしとの御意にして、これまた決して故なく犯戒の者を許し給う事ではござらぬじゃ」と。 まさに日興上人の御遺誠は、習学の仁の一旦の婬犯、かりそめの間違いに対して、時の貫首が取るべき制誡を示されたものなのです。 ゆえに「時の貫首、日興になりかわりて、彼が一旦の犯罪を許し・・・・」とある。"時の貫首が日興上人になり替って"ということです。 だから貫首の「一旦の婬罪」などはこの中に入らない。 そんなことはあり得べからざることという大前提で、日興上人は御指南されているのであります。 これを以て思うに、妻帯が当然のごとくになっているいまの宗門の僧侶の風儀は、広布前夜の一時的変態と見るべきです。 広宣流布になれば、必ず御在世の信心に戻るのであります。 以上、二十六箇条において三箇条も「貫首」の在り方について触れておられるということは、実に日興上人が「末法万年の総貫首」であられればこそです。 ゆえに日興上人の御徳を讃嘆するにおいて、「本門弘通の大導師」と共に、この「末法万年の総貫首」の文は、断じて抜いてはならないのであります。 (つづく) |